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組織内のいじめ・体罰はなぜ無くならないのか

私は夢を持って最初に就職した神奈川の会社で、組織の中でいじめや体罰と呼んでもいいだろう環境を経験した。

そこではまず、仕事がうまくできないと「罰」という名目で高温のサウナに閉じ込められることがあった。ほうきで扉があかないようにつっかえ棒を作られ、時間の感覚が分からなくなるほど長時間入れられ、息苦しさとめまいで意識が遠のいていく感覚があった。単なる苦しさではなく、「このまま倒れるかもしれない」という恐怖を伴うものだった。外に出ることも許されず、助けを求めることもできない状態である。何度もあったが仕事でミスをしたから当たり前だよな?といわれ納得してしまっていた。

日常的に行われていたのは、皆の見えない場所での暴力だった。殴る、蹴るといった行為が繰り返され、それは指導だと思っていた。注意だと思っていた。後輩ができてからは後輩の前で明らかに見せしめとして行われていた。周囲は後輩しか知らなかったのでそれを止めることもできず、ただ黙って我慢しているしかない。その空気自体が異常だったが「仕事の指導だし当たり前か」と納得していた。

3年ほどたったころから、家や会社の鍵を勝手に奪われ逃げ場を奪われた状態で、そのまま125CCバイクで夜中追いかけまわされた。こちらは全力で逃げる、そして鍵の為に追いかけるしかなく、きつさと恐怖の中で走らされていた。しかもわざと坂道を選んで走らされた。「これは遊び」「愛社心があるかどうか調べるために会社のカギを持って追いかけさせた」といわれていた。「お前は愛社心がある」といわれ何故か感謝を伝えていた。今思えば完全に恐怖を与えるための行為だった。

4年目には精神的な嫌がらせも執拗に行われていた。幹部の気に入らない部長のカギをわざと隠し騒動にさせた。それを会社のみんなで探していると、隠された鍵が私のカバンの中に入れられ、「盗んだのではないか」と疑われる状況を作られたことがある。これは単なる嫌がらせではなく、人間関係を破壊し、孤立させるための行為だった。

そして最終的には、財布から頻繁に現金を抜き取られることが日常になっていった。
最初は違和感だったものが、次第に「またか」と感じるようになり、これは完全に窃盗でありながら、私の中では歯向かったときに夢を叶えられなくなるかもという不安から黙認していた。

ここまでくると、これはいじめという言葉では収まらない。暴力、支配、恐怖、搾取が常態化した環境だった。

当然、このような環境が人に与える影響は大きい。その組織では鬱病になって辞めていくスタッフが複数存在していた。隠していないから言うが私自身も、何年もたってからその影響を受けて鬱病を発症した。

私はその法人と個人を相手取って刑事・民事の両面から法的措置を実施する予定だ。無慈悲に社会の中で揉まれると良い。これからの私の為に金銭的な償いをしたうえで刑事処分を受けることを希望する。

さて、本題だ。
重要なのは、これは個人の弱さではないということだ。同じ環境で複数人が同じように壊れている時点で、問題は明確に環境にある。

しかし、さらに異常なのはその後である。最近その組織を訪れた際、当時これらの行為に関わっていた人物が「いじめ対策コミュニケーション担当責任者」や「撲滅委員長」といった役職に就いていた。

この事実は、この問題の本質を端的に表している。

いじめや体罰は、単なる個人の問題ではない。それを許し、評価し、昇進させてしまう組織構造の問題である。強圧的な言動や恐怖による支配は、短期的には統率が取れているように見えるため、組織はそれを統率力やリーダーシップと誤認する。その結果、人を壊せる人間が評価されるという逆転現象が起こる。

こうした行為は必ず「指導」や「教育」という言葉で正当化される。しかし生理学的には、これは完全に逆効果である。慢性的な強いストレスはコルチゾールの持続的上昇を引き起こし、自律神経の乱れ、免疫機能の低下、睡眠障害、抑うつ状態などを招く。さらに脳は常に危険を感知し続けるため、前頭前野の機能が低下し、判断力や学習効率、感情制御能力も低下する。

つまり、いじめや体罰は人を成長させるどころか、確実に壊す行為である。

このような環境では、被害者は次第に「自分が悪いのではないか」「耐えなければならない」と認知を歪めていく。そして限界を超えたとき、鬱病という形で崩れる。これは例外ではなく、構造的に起こる結果である。

加害者がいじめ対策を担っているという現実は、組織が本質的に変わっていない、あるいは問題を理解していないことの証拠である。表面的に制度や役職を整えることで対策しているように見せるが、実態は変わらない。

はっきり言う。いじめや体罰が存在する組織は、厳しい組織でも強い組織でもない。ただ壊れている組織である。

そして、その中で壊れてしまう人は弱いのではない。正常に反応した結果である。

問題は個人ではない。構造である。