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日本の福祉は分けられすぎている気がする

今日も高齢者施設、障がい者スポーツと現場を巡ってきた。その中で「日本の福祉は分けられすぎている」気がする。

私はこれまで運動指導士として、高齢者福祉、障がい者福祉、学校施設、そして養護施設といった多様な現場に関わってきた。その中で強く感じているのは、日本の福祉は「守ること」に偏りすぎており、本来持つべき「人を活かす力」を十分に発揮できていないという違和感である。

高齢者施設では、日常生活の安全確保が最優先される。その結果、転倒リスクや事故防止の観点から活動が制限され、身体機能の低下を招く場面を何度も見てきた。本来であれば、適切な運動や役割を持つことで維持できる機能が、「安全のため」という理由で失われていく。この構造は果たして本当に利用者のためになっているのか、疑問を感じざるを得ない。

一方、障がい者福祉の現場では、「できること」よりも「できないこと」に焦点が当たりやすい。もちろん支援は必要だが、その過程で本人の可能性や主体性が抑えられてしまうケースも少なくない。実際には、環境と役割さえ整えば力を発揮できる人も多いにも関わらず、制度や支援の枠組みがそれを引き出せていない現実がある。

養護施設や学校現場では、また別の課題が見えてくる。子どもたちは本来、多様な大人との関わりの中で社会性や価値観を育んでいく。しかし施設や学校という閉じた環境では、その機会が限られてしまう。特に養護施設の子どもたちは、ロールモデルとなる大人との接点が少なく、将来像を描きにくい状況に置かれていることもある。

これらの現場を横断して感じたのは、それぞれが孤立しているという構造的な問題である。高齢者、障がい者、子どもは本来、社会の中でつながり合う存在であるにも関わらず、制度によって分断されている。その結果、人手不足、孤独、教育不足といった課題が、それぞれの領域で個別に発生している。

しかし視点を変えれば、これらは「統合することで解決できる課題」でもあると考えている。例えば高齢者は、長年の経験や知識を持っている。それを子どもたちに伝えることで教育的価値が生まれる。また障がい者の方々も、適切な環境と役割があれば、作業や支援の一部を担うことができる。子どもたちはその中で人との関わりを学び、社会性を身につけていく。

このように役割を再設計することで、「支援される側」という一方向の関係から、「互いに支え合う関係」へと変わる。これは単なる理想論ではなく、現場を見てきたからこそ実感している可能性である。

さらに、運動指導の観点から見ても、この統合モデルは大きな意味を持つ。人は役割を持ち、他者と関わることで自然と活動量が増える。これは意図的なリハビリ以上に効果的な場合もある。高齢者にとっては認知症予防や身体機能維持につながり、障がい者にとっては自立支援となり、子どもにとっては心身の発達を促す。つまり、医療や福祉の「下流」で対処するのではなく、「上流」で健康を作る仕組みになる。

もちろん課題もある。制度の壁、リスク管理、専門性の確保、職員の教育など、解決すべき点は多い。しかし、それを理由に現状を維持し続けることの方が、長期的には大きな問題を生むと感じている。すでに現場では人手不足が限界に近づき、従来のやり方では持続不可能であることは明らかである。

私が現場を通して強く感じているのは、福祉は「守るだけのもの」ではなく、「人を活かす仕組み」であるべきだということだ。人は誰かの役に立つことで、自分の存在価値を感じる。その積み重ねが、心身の健康を支える。

高齢者、障がい者、子ども。それぞれを分けて支えるのではなく、つなげて活かす。この発想の転換こそが、これからの福祉に必要だと考えている。そしてその中心には、運動、生活、コミュニティといった日常の中での関わりがある。

現場を見てきた一人として、私はこの可能性を強く信じている。福祉はもっと変えられるし、本来もっと人を元気にできるものだと思っている。