―「治療」から「予防」へシフトしなければ日本は持たない―
私は予防医学型パーソナルジムの現場で、日々クライアントの運動指導と健康管理に携わっている。その中で強く感じているのは、日本の社会保険制度は非常に優れている一方で、その設計思想が「過去型」にとどまっているという点である。
日本の皆保険制度は、誰もが一定の負担で医療を受けられる仕組みであり、自己負担は原則3割に抑えられている。この制度によって多くの命が守られてきたことは間違いなく、世界的にも高く評価されている。しかし、この制度はあくまで「病気になった後に機能する仕組み」であり、「健康を維持するための仕組み」ではない。
現場でクライアントを見ていると、多くの人がすでに病気の一歩手前の状態にいる。体脂肪率の増加、血糖値の上昇、高血圧の予備軍、慢性的な運動不足といった状態は非常に一般的であり、これらは明らかに将来の生活習慣病につながるリスクを抱えている。しかし、この段階では医療保険制度の介入はほとんどない。
そして数年後、糖尿病や高血圧症、脂質異常症といった診断が下された瞬間から、初めて保険による本格的な医療介入が始まる。この流れは制度としては合理的であるが、予防医学の観点から見ると明らかに遅い。現場で見ていると、もっと早い段階で介入できれば防げたケースが非常に多い。
実際、予防の効果は明確な数値としても示されている。運動や健康プログラムに継続的に参加した人は、年間で平均約3.5万円の医療費削減効果があるとされている。また、メタボリックシンドロームを改善することで1人あたり年間約1.9万円の医療費削減が可能であり、これを国全体で考えると1兆円規模の削減効果が見込まれる。さらに、将来的には予防医療の推進によって1.5兆円規模の医療費・介護費削減が可能とする試算もある。
つまり予防は単なる理想論ではなく、極めて現実的で経済合理性のある戦略である。しかし現実には、日本の医療保険の中で予防に使われている予算はごくわずかであり、国民健康保険では約0.8%、健康保険でも約4%程度にとどまっている。ほとんどの財源は「治療」に使われているのが現状である。
これは現場の感覚からすると完全に逆である。本来は予防に投資することで病気を減らし、その結果として医療費を抑制するという流れを作るべきである。しかし現在は、病気になってから対応する構造になっているため、医療費は増え続ける。
ジムの現場で最も明確に見えるのは、「行動する人」と「行動しない人」の差である。同じような体型や健康状態でも、週に数回運動を行い、食事を改善し、生活習慣を整える人は確実に数値が改善する。一方で、何も行動を変えない人は確実に悪化していく。この差は遺伝でも体質でもなく、ほとんどが行動によって生まれている。
だからこそ必要なのは、「行動」を評価する制度である。現在の社会保険制度は、病気かどうかという結果に対してのみ対応している。しかし本来は、その結果に至るまでの過程、すなわち日々の行動こそが最も重要である。
例えば、健康セミナーへの参加、認定フィットネスクラブの利用、栄養指導の受講、運動習慣の継続といった行動を可視化し、それを評価する仕組みを導入するべきである。スタンプラリーのような形式で健康行動を蓄積し、その達成度に応じて医療費の自己負担を軽減したり、予防サービスを優先的に受けられるようにすることで、人の行動は大きく変わる。
人は基本的に「得をする行動」を選ぶ。現在の制度は、健康でいることに対する明確なメリットがなく、病気になったときに手厚い支援がある構造である。そのため、多くの人は無意識のうちに「まだ大丈夫」と考え、行動を先延ばしにする。しかし、運動や健康管理を行うことで具体的なメリットが得られる仕組みになれば、その行動は自然と促進される。
現場で確信しているのは、医療の本質は「治すこと」ではなく「悪くならないようにすること」であるという点である。実際に、運動や食事の改善によって血糖値や血圧が改善し、薬に頼らずに健康を取り戻す人を数多く見てきた。彼らは医療に救われたというよりも、自らの行動によって健康を作り上げたのである。
日本の社会保険制度はこれまで多くの人を救ってきた優れた仕組みである。しかしこれからの時代においては、「病気を治す制度」だけでは不十分である。必要なのは、「病気にならない人を増やす制度」である。
予防に投資し、行動を評価し、健康を維持する人が報われる社会へと転換すること。それが医療費の抑制だけでなく、国民全体の生活の質を向上させる最も現実的な方法である。
病気は突然発生するものではなく、日々の生活の積み重ねによって作られる。だからこそ制度もまた、その日々の行動に介入し、支える形に進化する必要がある。社会保険制度は「守る」だけでなく、「健康を創る」ための仕組みへと変わるべき時に来ている。